臼杵城跡 |
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畳櫓 | |
まず、見えてきたのは、「畳櫓(たたみやぐら)」。 宝暦13年(1763)の大火で焼失。 明和年間(1764〜1772)頃に再建されたらしい。 |
大門櫓 | |
続いて、「大門櫓(だいもんやぐら)」が見えてきました。 | |
現在、お城の建物っていうと、この2つです。。 |
国崩し | |
城内は、すっかり、公園ですね。 | |
あと、城内で見るといえば、この『佛狼機砲(ふらんきほう)』。 天正4年(1576)にポルトガルより、領主「大友宗麟」に贈られたとのこと。 日本発の大砲とも云われています。 | |
「大友宗麟」は、これを『国崩』と命名し、『臼杵城』の備砲とした。 島津軍が攻め込んできた時も、この『国崩』で迎え撃ち、敵軍はかなりの死傷者が出た模様。 『国崩し』じゃなくて、『自分の町壊し』って感じですが。。 | |
ここにある『国崩』は当然レプリカで、廃藩置県後、国に献上して、本物は「靖国神社」の境内に展示されている模様。 |
さらに城内 | |
二ノ丸があった付近は、でっかいグラウンド(多目的広場)になってました。 | |
本丸があった付近は、桜の木でいっぱいです。 |
卯寅稲荷神社 | |
さらに、奥へ進んでいくと、『卯寅(うとの)稲荷神社』がありました。 | |
「どんだけ、目つき悪いねん。。」 |
以上 | |
以上、「臼杵城跡」でした。 |