臼杵城跡
名称臼杵城・臼杵城跡 (臼杵公園)
ジャンル城・史跡・公園
解説臼杵城は、戦国時代の永禄5年(1562)〜永禄7年(1564)あたりで築城されたらしい(はっきりした確証文書がない)。 当時この場所は、海に浮かぶ丹生島(にゅうじま)だったので、「丹生島城」と呼ばれていた。 さらには、島の形が、亀に似ていたので、「亀城/亀ケ城」とも言われていたらしい。
場所大分県臼杵市祇園南 [地図] [Googleストリートビュー]
観光所要時間20分〜40分。
開閉時間なし(明るい時間に行きましょう)
入場料なし
食事処無×
トイレ有△ (城入口/城内)
駐車場無×(市営有料駐車場)
シーズン4月(花見)
イベント


臼杵城跡

臼杵城跡 臼杵市散策「二王座歴史の道」だけで、歩き足らなければ、「臼杵城跡」でも歩いてみましょう。
Google Street View
臼杵城跡 臼杵城「跡」なので、お城はありません。 明治新政府の廃藩置県で明治4年に取り壊されて公園化されました。

「なにも壊さなくていいのにね。」
Google Street View
臼杵城跡 いま、お堀の上を渡っていますが、当時ここは、丹生島(にゅうじま)という島だったそうで、海に浮かぶ要塞「丹生島城」なのでした。

そして、攻めてきた薩摩国の島津軍はこの城を落とすことはできなかったが、城下町は、めっちゃくちゃにやられた模様。
臼杵城跡 石段を上がってます。。

「お城って、ここが疲れるんですよね。。」

畳櫓

臼杵城跡 まず、見えてきたのは、「畳櫓(たたみやぐら)」。

宝暦13年(1763)の大火で焼失。 明和年間(1764〜1772)頃に再建されたらしい。

大門櫓

臼杵城跡 続いて、「大門櫓(だいもんやぐら)」が見えてきました。
臼杵城跡 現在、お城の建物っていうと、この2つです。。

国崩し

臼杵城跡 城内は、すっかり、公園ですね。
臼杵城跡 あと、城内で見るといえば、この『佛狼機砲(ふらんきほう)』。

天正4年(1576)にポルトガルより、領主「大友宗麟」に贈られたとのこと。

日本発の大砲とも云われています。
臼杵城跡 「大友宗麟」は、これを『国崩』と命名し、『臼杵城』の備砲とした。

島津軍が攻め込んできた時も、この『国崩』で迎え撃ち、敵軍はかなりの死傷者が出た模様。

『国崩し』じゃなくて、『自分の町壊し』って感じですが。。
臼杵城跡 ここにある『国崩』は当然レプリカで、廃藩置県後、国に献上して、本物は「靖国神社」の境内に展示されている模様。

さらに城内

臼杵城跡 二ノ丸があった付近は、でっかいグラウンド(多目的広場)になってました。
臼杵城跡 本丸があった付近は、桜の木でいっぱいです。

卯寅稲荷神社

臼杵城跡 さらに、奥へ進んでいくと、『卯寅(うとの)稲荷神社』がありました。
臼杵城跡 「どんだけ、目つき悪いねん。。」

以上

臼杵城跡 以上、「臼杵城跡」でした。