磨崖クルス -Magai Cruz-
名称磨崖クルス (まがいクルス)
ジャンル歴史・磨崖
解説円の中の雲形台に乗った干十字章を陽刻したもの(略して、十字架が彫刻された石)。大正から昭和の初期に地域の人達がたまたま発見。発見されるまでは地面に伏せられていた。隠れキリシタンが人為的にココに伏せて隠し信仰していたのか、偶然残っていたのか不明。市指定有形文化財。
場所大分県臼杵市野津町大字宮原字寺小路 (国道10号線沿い) [地図] [Googleストリートビュー]
観光所要時間3分〜5分。
開閉時間なし(明るい時間に行きましょう)
入場料なし
食事処無×
トイレ無×
駐車場有△
シーズン
イベント


磨崖クルスってナニ?

磨崖クルス 国道10号を走っていると前から気になっていた看板。
Google Street View

「マガイくるす?」 いったい何者か調査してみましょう。

駐車場からのコース

磨崖クルス 駐車場から見渡すと、どうも民家に行く道しかなさそうだが。。

「ん?正面の木の奥が怪しい・・。」
磨崖クルス 上り段があるが、すぐに行き止まり?

コレが磨崖クルス

磨崖クルス 右の木が『磨崖クルス』か、左の石が『磨崖クルス』なのか!?
磨崖クルス 左の石が『磨崖クルス』っぽい。

 ※磨崖(まがい) - 自然の懸崖(けんがい)または大石の表面を磨いて、文字・画像などを陰刻または浮き彫りにしたもの。
 ※クルス(cruz) - ポルトガル語で、十字。十字架。また、十字架をかたどったもの。

磨崖クルスの歴史

磨崖クルス 天文20年(1551)にキリシタン大名の異名を持つ領主『「大友義鎮(おおともよししげ) - 法号「大友宗麟(おおともそうりん)」』の保護のもと、豊後(ぶんご)の国(大分県)にキリスト教が広まり、ここの地方だけでも3500人の信者がいたそうな。

天正15年(1587)に「豊臣秀吉」が禁教令を出し、翌年には、領主「大友義統(おおともよしむね)」の命により、この地の有力な信者が暗殺される。その後もキリシタンへの弾圧が強まっていく中での、数少ない歴史を残すものではなかろうか(最後は個人的推測かい!)。
磨崖クルス 穴が2つ。これもいつ開けられたものだろうか。。
磨崖クルス 調べれば調べるほど、キリスト教信仰が栄えていたこの地。

邪魔なので持ち上げてみたら、こんなの出ました!となったのか、明治政府が「キリシタン禁教令」を解いた後に、偶然の発見を装い、隠れキリシタンの継承者が再び『磨崖クルス』を表に出したのか、ああ、ロマン。