磨崖クルス -Magai Cruz- |
|
磨崖クルスってナニ? | |
国道10号を走っていると前から気になっていた看板。 「マガイくるす?」 いったい何者か調査してみましょう。 |
駐車場からのコース | |
駐車場から見渡すと、どうも民家に行く道しかなさそうだが。。 「ん?正面の木の奥が怪しい・・。」 | |
上り段があるが、すぐに行き止まり? |
コレが磨崖クルス | |
右の木が『磨崖クルス』か、左の石が『磨崖クルス』なのか!? | |
左の石が『磨崖クルス』っぽい。 ※磨崖(まがい) - 自然の懸崖(けんがい)または大石の表面を磨いて、文字・画像などを陰刻または浮き彫りにしたもの。 ※クルス(cruz) - ポルトガル語で、十字。十字架。また、十字架をかたどったもの。 |
磨崖クルスの歴史 | |
天文20年(1551)にキリシタン大名の異名を持つ領主『「大友義鎮(おおともよししげ) - 法号「大友宗麟(おおともそうりん)」』の保護のもと、豊後(ぶんご)の国(大分県)にキリスト教が広まり、ここの地方だけでも3500人の信者がいたそうな。 天正15年(1587)に「豊臣秀吉」が禁教令を出し、翌年には、領主「大友義統(おおともよしむね)」の命により、この地の有力な信者が暗殺される。その後もキリシタンへの弾圧が強まっていく中での、数少ない歴史を残すものではなかろうか(最後は個人的推測かい!)。 | |
穴が2つ。これもいつ開けられたものだろうか。。 | |
調べれば調べるほど、キリスト教信仰が栄えていたこの地。 邪魔なので持ち上げてみたら、こんなの出ました!となったのか、明治政府が「キリシタン禁教令」を解いた後に、偶然の発見を装い、隠れキリシタンの継承者が再び『磨崖クルス』を表に出したのか、ああ、ロマン。 |